「19歳 一家四人惨殺犯の告白 -完結版-」永瀬隼介

ノンフィクション

「19歳 一家四人惨殺犯の告白 -完結版-」永瀬隼介

本書について書くのは2回目です。最初の記事はこちらヾ(≧▽≦)ノ


2025年4月、最新刊が出ました。
ついに著者の永瀬隼介さんと殺人犯・関光彦との決着です。

概要は前回の記事にも書きましたが、そのときは事件の詳細を詳しく書けず、男の生い立ちや事件に至った動機についてを主に書きました。

今回は事件の内容について書いていきたいと思います。

1992年3月、千葉県の市川で惨劇は起こりました。
少女(15歳)の自宅マンションに忍び込んだ男は83歳の祖母を電気コードで殺害。
36歳の母の背中を包丁でめった刺しにして殺害。
42歳の父を背中から包丁で突き刺し殺害。
4歳の妹は背中から胸を深々と抉られ殺害されています。
この惨劇から生き残ったのは少女だけでした。

4人は男と面識はありませんでした。
ある事情から男に住所を知られていて、強盗目的で侵入、殺害となりました。
男はヤクザに支払うための200万円の足しになればいいと軽い気持ちでの侵入でした。

千葉県市原市、夜遅くまで勉強していた少女はシャープペンシルの芯を買いに自転車でコンビニに出かけます。
ふいに後ろから強い衝撃があり、車に轢かれたのだとわかります。
自転車から投げ出され、擦過傷を負い、血を流していると運転手の男は優しく声をかけ、男の車で病院に行きます。
治療を受け終わり、自宅に届けてくれるのだろうと少女は思っていました。
男の車に乗ると男は豹変します。
折り畳みナイフを出し、脅され、男のアパートでレイプされます。
男には少女が持っていた生徒手帳から住所と氏名を控える狡猾さもありました。

レイプ事件から数日後、男はヤクザから脅されます。
男の妻、フィリピン女性の働く風俗店に損害を与えたから200万円用意しろという内容でした。
切羽詰まった男は前にレイプした少女の家に行くことを決めました。


このあと起きてしまう惨劇について1000字ほど書いたところですべて消しました。
あまりにも胸が痛くなってしまい、書けなくなりました。
すべてを書ききった著者を心から尊敬します。
著者は関との面会や手紙での交流を通し、時には説教をしたりなだめたりする中で体調を壊し入院してしまっています。
事件の詳細に触れる中で体に毒が溜まっていってしまったのだろうと思います。

このまま終わってしまってはこの記事が未完了になってしまうので、事件を振り返りながら、あのときああだったらと救いについて書いていきたいと思います。

男は友だちの影響でエホバの証人の教えを受けていました。
エホバの証人では暴力は絶対禁止です。
男はここに救いがあるかもと自宅でも経典を読むほど感銘を受けていました。
しかし、男の父はくずで経典を破いて捨てています。
もしも男がエホバの証人の学びを受け続けていたらと考えてしまいます。

少女はレイプされたのちも普段通りの生活を続けていました。
惨劇は母との買い物の帰りに起きてしまいました。
もしもすぐに警察に行っていれば、もしもすぐに引っ越しをしていればと考えてしまいました。

被害者が逃げるのはおかしいと言われてしまうかもしれませんが、本当にヤバい奴からは逃げた方がいい時もあると思います。
僕は被害者ではないものの、読書中、とても悔しい気分でした。

祖母は男への抵抗の最中、男の顔に唾を吐きました。
潔癖症気味の男はそれをとても汚いものと思い、逆上してしまいました。
もしも無抵抗でお金と通帳を差し出していればと考えてしまいます。

男は祖母と両親の殺害後、父の会社に少女を行かせています。
印鑑を取りに行かせるためでした。
少女は男の監視の目がある中で、騒ぐことはできず、印鑑を取りに行ったあと家に帰ります。
帰宅後に4歳の妹が泣き、男は妹まで手にかけます。
外で騒いでいれば妹は助かったかもしれません。

少女の様子がおかしいと感じた職場の人が通報し、男は逮捕されます。
その後、男は裁判を受け、最高裁までいき、死刑が確定します。

完結版の本書では【死刑執行のとき】が追加されました。
ここでは死刑が決まった後の関光彦について書かれています。

とっととくたばりたいんですよ。許されるのならこの場で切腹でも首吊りでもして、自分の手で責任を取って、潔く死んでしまいたい。死刑が決まった人間を無駄に長生きさせる必要はないとおもいます

上は著者との面会中に関が語った言葉です。
しかし、獄中での関は死刑が決まると再審請求を繰り返し、延命を図ります。
また、食べ続け体重を増やし、絞首刑の失敗を図ります。
絞首刑は絶対に失敗は許されないので、体重の増加は延命につながると弁護士に入れ知恵されてのことでした。

関の思惑はむなしく外れ、死刑は執行されました。
2017年、関が44歳のときでした。


少女は結婚して今はヨーロッパで生活していると書いていました。
幸せになって欲しいと心から願うばかりです。
凄惨な言葉ばかりが並ぶ記事になってしまったので最後だけは希望的な言葉で締めたいと思います。

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